「弱きわれら」の違和感~映画「沈黙」のキャッチコピーは、誰に向けたものなのか

映画「沈黙」の公式ホームページを見てほしいんだわ。

トップページの広告の上部に「なぜ弱きわれらが苦しむのか-」ってキャッチコピーが書いてあるんだけど、映画を見たあとだと、ハァ?って思った。


弱きわれらって、たぶん作中の切支丹たちのことなんだろうけど、

あいつらめっちゃ強いよね?

そりゃ、立場は弱いよ。武士でもないし。

でも、精神的にめちゃくちゃ強くね?

モキチなんか、役人にいたぶられても聖歌を歌ってたし、みんな意地でも信仰を守ろうとしてたじゃん。必死に逃れてさ。捕まってもなお、「転ぶ」のを拒否してね。
弱かったら、幕府がキリスト教を禁じた時点で、信仰を捨ててるでしょ。


作中の切支丹の人々は精神的には強いんだよ。
身分が低く、立場の弱い人たちが、幕府の役人にいたぶられて、いたぶられて、死ぬまで信仰を失わず、意地の強さを見せた。

だから泣けるんでしょ、悲しいんでしょ。神父たちも苦しむんでしょ、健気に信仰を守りぬいてる連中が「転ぶ」誘惑に耐えて耐えて耐えて、そして死んでいくのやいたぶられるのを見て。(なかには、信仰を守り通せず転んだやつもいたけど、そもそも、さっき言ったように、幕府が取り締まってるのに捕まるまで信仰を保ってた時点で、充分強い人間じゃないかと思うよ、やっぱり。)


100歩譲って、もし切支丹たちが弱い人間だとしても、

「なぜ弱きわれらが苦しむのか」なんて問いは彼らの頭になかったと思う。
「弱きわれら」って、作中の切支丹たちは、自分たちのことをそんなふうに弱いなんて思ってなかったと思うよ。
そんな悲観的じゃないでしょ。
そんな悲観的な問いを自分自身にぶつけてた切支丹でてきた?

俺覚えてないけどね。

むしろ、負けないぞ!って信仰を守り通した奴、結構出てきてたと思うんだけど。牢屋のなかでも神父の話聞いてたし。

一体だれが、「なぜ弱きわれらが苦しむのか-」って考えてるの?

 
最初に言ったけど、「(立場の)弱きわれらが苦しむのか-」なら一応の意味は通じるよ。キャッチコピーとして成立しますわな。

でも、こんな時間をかけて丁寧に作られた大作に、そんな浅いキャッチコピーつけちゃうの?

ちがうと思うんだよね。

「(立場だけでなく、人間として)弱き我らが苦しむのか-」

だよね。

でも、だとしたら、そのキャッチコピーちょっとおかしいよって、幕府が取り締まってるなかで信仰を保ってる時点で強い人間だし、作中の「転ぶ」ことを拒絶した切支丹たちはまったく弱い人間ではないし、「なぜ我らが苦しむのか」なんてことを考えてる悲観的なやつ、いなかったよねって、俺は思うんだけどねぇ。


じゃあ、なんでこのキャッチコピーなのかなと考えると、「なぜ弱き我らが苦しむのか-」って普段考えているような、ブラック企業で働いてたりする人のような、現代社会で弱い立場にいる人に向けて、この映画を届けたかったからかなぁ。

結局、このキャッチコピーって、「沈黙」のキャッチコピーではなく、「沈黙」を見に来た観客のキャッチコピーなのかもね。