映画『沈黙』感想(ネタバレほぼなし)~スコセッシの懐石料理について~

マーティン・スコセッシ監督の新作映画、『沈黙』みた。

最初に言うけど、映画館に1000円払って見に行く価値があるかないかと言えば



あります。

この映画は、マーティン・スコセッシの高級な懐石料理である

と、思う。

叩きどころがない。

蝉の鳴き声が無音に変わり、その瞬間にシンプルなフォントで「silence」の文字が現れるタイトルシーンから、最後のある人物の葬儀のシーンまで、丁寧で上品な映画だった。どのシーンのどのカットも洗練されていて、美しかった。だから、監督の伝えたいものがストレートに伝わってきて、それこそ、聖書の一節をじっくり読んでゆくような味わい深い映画になっている


いいところを挙げていく

・全体的に展開の緩急がしっかりしていて、長い映画なのに、退屈さは感じない。

・序盤の、ロドリゴ神父が最初に出会ったキリシタンたちが、信仰を捨てなかった罰として、海で責めを受け、一人、また一人と死んでゆくシーンは、モキチ役の塚本晋也の熱演もあって、壮絶な仕上がりになっている。
この時点で劇場内のあちこちからすすり泣きが聞こえた。


・中盤のロドリゴ神父が牢屋に入れられてからの展開。
緩慢な踏み絵のシーンから、こちらが気をゆるめているところに、いきなり、キリシタンが直面する現実を思い知らされ、ロドリゴ神父が泣き叫ぶ一連のシークエンスの間の取り方はさすがというほかなく、溜め息が出た。(ロドリゴ神父がフェレイラ神父とお寺で再会し、会話するシーンの間も絶妙だった。)

・中盤、処刑されたキリシタンの遺体が引きずられ、その血が、地面に赤い直線を描く。その映像美。
この映画は、残酷なシーンが少なくないが、気持ちの悪い描写をテンポよく処理していくから、ほどよく印象的で「どうだ、痛そうだろ、刺激的だろ」といった、未熟な監督の作品にありがちなグロ描写の嫌味がない。


・神父と対峙する、井上筑後守を演じるイッセー尾形。特徴的な高めの声が、善良で、民に微笑み、親しく接するが、異教徒に対しては容赦せず、布教を阻止するためならどんな手段も使う、二面性のある政治的な人間である井上の役に合っている。イッセー尾形が井上を演じることにより、ユーモラスさと不気味さが井上という存在に添加されていて、助演男優賞受賞モノの好演と言わざるをえない。

・終盤、フェレイラ神父がなにげなく、ふと漏らす一言、キチジローとロドリゴ神父がむかえる結末。ここで、彼らの信仰がどれほどのものなのかを、観客は思い知らされ、驚かされ、また、感動させられる。それほどまでに重みのある場面を、それぞれ、さりげなく描写しているのが本当にニクい。



いいところを列挙するとこんなかんじ。
他にも、「転ぶ」という言葉を、転ぶ=棄教ではなく、転ぶ=棄教➕恥辱というような、棄教という意味だけではない意味を持たせているところのこだわりとか、フェレイラ神父とロドリゴ神父のお寺での再開の場面の、フェレイラ神父役のリーアム・ニーソンの顔の演技とか、グッドなポイントはいくつもある。


だが、少しケチをつけさせてもらうと、

・尺の都合上カットされたのだろうが、ガルペ神父がロドリゴ神父と別行動をとったあとの描写が足りず、彼がむかえる結末のシーンが唐突なように感じる。ロドリゴとの別れのあと、どのようなことがあったのか、ワンカットいれてほしかった。

・原作でどうなってんのか知らないけど、ロドリゴが山を歩いていていきなりキチジローと出くわすシーンは不自然だし、キチジローが役人を連れてくるのも、お前いつ役人を呼びに行ったんだよって思った。

ロドリゴ神父が捕らえられて牢まで連行される場面で、長崎の街が出てくるけど、ちょっと雰囲気が騒がしすぎる気がするんだけど、江戸時代の長崎ってこんな賑やかだったのかなぁ。いかにも外国人が考える江戸時代の日本みたいな感じで、ちょっと萎えた

・終盤の、ロドリゴ神父がキチジローと会話する場面。ロドリゴ神父がある日本語を話すんだけど、キチジローは外国語で神父と会話できんだから、わざわざ日本語をしゃべらなくていいだろと思った。外国人のカタコトの日本語はわざとらしくて萎える。原作ではここ、どうなってんの?



ケチをつけるとしたらこれくらいだわ。

☆気になったところ☆

・この映画は、蝉の鳴き声のBGMから始まり、最後も蝉の鳴き声で終わるんだけど、これの意味を考えていた。

蝉=キリシタンのメタファーだと考える。
地中に隠れていて、地表に出てきたかと思えば、鳴くだけ鳴いてすぐ死んでゆく蝉は、役人の目を逃れて信仰を続けるが、バレて捕らえられ、モキチのように聖歌や神への祈りを口にしながら死ぬキリシタンというわけ。

もう一つ考えた。

蝉は地中でまさに「沈黙」している。地上からは、その姿を見ることはできない。しかし、<確かにそこに存在している>のだ。
確かにそこに存在している、ということ。それは、ロドリゴが、キリシタンたちの悲惨な姿を目の当たりにして、神はなぜ沈黙しているのかと考え、そして彼が「転ぶ」か否かの決断をするときの、彼が導き出した答えに通じているものである。

う~む。監督の狙いはどうだろうか。パンフレット買えば書いてあるかなぁ。






この映画、点数をつけるとしたら、ケチをつけたぶんを引いて、85点
特に中盤の、ロドリゴ神父が連行されたあとのシークエンスの出来は、牢屋の格子越しのカメラワークや井上筑後守ら役人たちによる尋問の場面の映像美など含めて、完璧だったと思う。


見に行ってよかったと充分に思える映画でした。

追記1

映画館に行ったら、普段は映画館のような場所ではお目にかかることのない、ベールを身に付けたシスターが数人いて少し驚いた。
彼女ら含め、客の年齢層は高めで、『沈
黙』の上映時間の長さに耐えられるのだろうかと心配していたら、案の定、後半あたりから周囲から寝息が聴こえた。いい映画なのにもったいないなと思った。

追記2

マーティン・スコセッシ監督の代表作『タクシードライバー』は『沈黙』とは180度違う映画だけど、めちゃくちゃ面白いので見た方がいいよ。