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「異邦人」カミュ

カミュの「異邦人」を読んだとき、主人公のムルソーが自分とそっくりで驚いた。と同時に、この世界に強力な味方を、友達を、見つけたようで、心強かった。


ムルソーは、なんというか、論理より衝動に身を任せて行動する人間だと、読んだらみんな、感じると思う。

普通の人は
~を知覚し、~と感じ、~と考え、~という行動を起こした

みたいな。

しかしムルソー

~を知覚し、~という行動を起こした

という感じ。

知覚からアクションまでの、考える作業がすっぽりと抜けているようなんだ。

だから衝動的に行動をしているように見える。



だけど俺は、彼はやはり、論理的だったと考えたい。
多重に、多層に論理的だからこそ、知覚→行動の過程が、衝動のように単純で唐突に見えるんじゃないのかなぁ。


俺はいつも、あーでもないこーでもない、と、頭のなかでぐるぐるぐるぐるしてるんだわ。
だから自分が誰かに「こういうことをしたい!」と言ったときに、それはどうして?と返されたら、その質問に答えるのに、かなり頭を絞って、これまで重ねてきた論理を、検索して検索して、さらに相手にわかりやすいように翻訳しなければならない。即答しても、相手の納得するような答えがでない。「太陽がまぶしかったから」的な、相手からしたらわけわからん回答になってしまうからね。

ムルソーもそんな感じなんだと思うわ。
相手と会話する場面でなんかめんどくさそうなのも、「翻訳」がめんどいからなんじゃないかと思う。
結局、太陽がまぶしかったからってスパっと言っちゃったからね、彼は。そういうタイプだよねこの男は。

俺はスパっと言えない。
訥弁になっちゃうんだよなぁ。特に、初対面の人の前だと。相手がびっくりして凍ってしまったことが、何回かある。



こういう、シンプルではない頭の使い方をしていると、損しかしない。

ムルソーは幸せじゃないし、俺も幸せじゃない。

それが、俺が、彼を、味方として、友達として認識した理由なんだわ。
だから、読んだあと、友達できた!みたいな嬉しさに包まれて、ちょっと泣いた。

「異邦人」は泣けます。