「異邦人」カミュ

カミュの「異邦人」を読んだとき、主人公のムルソーが自分とそっくりで驚いた。と同時に、この世界に強力な味方を、友達を、見つけたようで、心強かった。


ムルソーは、なんというか、論理より衝動に身を任せて行動する人間だと、読んだらみんな、感じると思う。

普通の人は
~を知覚し、~と感じ、~と考え、~という行動を起こした

みたいな。

しかしムルソー

~を知覚し、~という行動を起こした

という感じ。

知覚からアクションまでの、考える作業がすっぽりと抜けているようなんだ。

だから衝動的に行動をしているように見える。



だけど俺は、彼はやはり、論理的だったと考えたい。
多重に、多層に論理的だからこそ、知覚→行動の過程が、衝動のように単純で唐突に見えるんじゃないのかなぁ。


俺はいつも、あーでもないこーでもない、と、頭のなかでぐるぐるぐるぐるしてるんだわ。
だから自分が誰かに「こういうことをしたい!」と言ったときに、それはどうして?と返されたら、その質問に答えるのに、かなり頭を絞って、これまで重ねてきた論理を、検索して検索して、さらに相手にわかりやすいように翻訳しなければならない。即答しても、相手の納得するような答えがでない。「太陽がまぶしかったから」的な、相手からしたらわけわからん回答になってしまうからね。

ムルソーもそんな感じなんだと思うわ。
相手と会話する場面でなんかめんどくさそうなのも、「翻訳」がめんどいからなんじゃないかと思う。
結局、太陽がまぶしかったからってスパっと言っちゃったからね、彼は。そういうタイプだよねこの男は。

俺はスパっと言えない。
訥弁になっちゃうんだよなぁ。特に、初対面の人の前だと。相手がびっくりして凍ってしまったことが、何回かある。



こういう、シンプルではない頭の使い方をしていると、損しかしない。

ムルソーは幸せじゃないし、俺も幸せじゃない。

それが、俺が、彼を、味方として、友達として認識した理由なんだわ。
だから、読んだあと、友達できた!みたいな嬉しさに包まれて、ちょっと泣いた。

「異邦人」は泣けます。

戦後文学探検隊1 「幻化」 梅崎春生

f:id:apocalypsenow:20170129003454j:plain学生時代の思い出が染み込んでいる場所に行くのは、中毒性がある。
大学を卒業した今、歩いていると、過去と現在が繋がるような感覚があり、それがなぜか、自分の内側から笑いをおこさせることがある。
学生時代、友人とバカ騒ぎした場所やオンナと大喧嘩した場所にいると、ふふっと笑ってしまう。
過去の未熟な自分を思いだし、微笑ましさを感じる。それがなかなかクセになる。


梅崎春生の「幻化」(青空文庫)を読んだ。

主人公の五郎は東京の精神病院を抜け出し、九州へ旅立つ。

熊本には彼が学生時代を過ごした場所かあり、鹿児島には彼が戦時中に兵隊として駐屯していた場所がある。

戦争が終わってから20数年たっていて、五郎はすでに中年となっている。物語を通して、五郎は常になにかに怯えている。怯えゆえに、虚勢を張ったりする。
旅の中で、様々な情景が彼の過去の記憶を喚起する。海にゆけば、溺死した同僚との出来事を、宿屋にゆけば、教授との出来事を彼は思いだす。そしてまた、五郎は怯えと虚勢を繰り返す。
旅は最終的に阿蘇山の火口での、危険なギャンブルへと至る。

これらの過程が、最後の最後まで、漠然と綴られて、クライマックスもあっけない。さらりとしている。
平坦だと思う。だけど平坦だからこそ、彼の描写の一つ一つから、彼が抱えている闇が浮かび上がってくる。
彼が、過去、鹿児島と熊本で何を失って、精神病院にたどり着いたのか、ということも。

この小説の舞台の背景として、成長して経済大国となりゆく日本を想定したとき、この物語は、過去にとらわれ、時代とともに生きることができない男メンヘラの物語であるように思えた。

で、この小説を読み終わったとき、最初に書いた俺の、思い出のある場所に来ると過去の自分が微笑ましくて笑ってしまう癖も、結局は、作中の五郎の行動(たとえば、同僚が溺死した海の前で、オンナとイチャイチャすること)のような、過去の事実になんとか抗おうとする「虚勢」にすぎないのではないかと思って、いやーな気分になったよね。
俺も五郎みたいに恐れてるのかもね、過去に向き合う―さらにそれを通して、現在に向き合う―ことを。

もう一回読も。

自己紹介

ストレス発散のためになんか書く
テーマは
・文学(戦後文学メイン)
・映画
・俳句
・人生
・日記的なもの
とか。
肩肘張らず書いていきたい。